Defiled ディファイルド
久しぶりに舞台観劇に行ってきました。
→http://www.defiled.jp/introduction.html
内容は引用しますが、、
2000年5月、アメリカ・ロサンゼルスで初演された本作。 刑事コロンボでお馴染みのピーター・フォークとテレビで活躍するジョン・アレキサンダーの 2大スターの競演、さらにその脚本の完成度の高さで一躍話題になった。
世界中がテロの恐怖に怯えた2001年。その年の10月、「Defiled」日本初演。 立てこもり犯と、警察の交渉人の絶妙なる駆け引きー。息を呑む展開に舞台が揺れた。そして2004年11月には待望の再演を果たす。
ハリー・メンデルソン = 歴史ある図書館に立てこもった男。
ブライアン・ディッキー = 説得にあたる定年間際の老練刑事。
ハリー・メンデルソン、図書館員。自分の勤める図書館の目録カードが破棄され、コンピュータの検索システムに変わることに反対し、建物を爆破すると立てこもる。目まぐるしく変化する時代の波に乗れない男たちが、かたくなに守り続けていたもの。神聖なもの。 それさえも取り上げられてしまったら・・・。
交渉にやってきたベテラン刑事、ブライアン・ディッキー。緊迫した空気の中、巧みな会話で心を開かせようとする交渉人。拒絶する男。次第に明らかになる男の深層心理。危険な状況下、二人の間に芽生える奇妙な関係。
果たして、刑事は説得に成功するのかー。
と、いう内容。
ハリー役・戸塚祥太
ディッキー役・勝村政信
青山クロスシアターは初めてで、帝国劇場などの広さで演技をみることが多かったので席の良さ悪さで望遠鏡をかかげてみることもなく、200席の狭い部屋で観劇。
もともとジャニーズのA.B.C-Zが好きということがきっかけで“舞台”という入り口に足を踏み入れたけれど、ジャニーズ関係なく“舞台”という独特の緊張感漂った雰囲気が大好物だと思う。今回は2人芝居で狭い空間だったのでとても集中して観ることができた。
音楽のライブもそうだけれど舞台も毎回毎回が本番。ナマモノであって、人間のエネルギーをひしひしと感じられ、その分観劇後の心の奪われ方が全然違う。これがもう毎回たまらない。まだ舞台観劇は少ないけれど、何か物足りなくなった時に欲を埋めてくれるもの。映画も好きだけどもっと緊張感やエネルギーが欲しい時、何か新しいものや行動がしたい時、気持ちが緩んでいるときに観劇したい。
内容は上記の通り図書館に立てこもる男と、刑事のおはなし。終始笑えるところも多々あって退屈せず観ることができた。
図書館に立てこもったハリーは、図書館の目録カードがコンピュータのデータに変わってしまうことに猛烈に反対していた。爆破して自分も一緒に死のうとしていた。何故そんなにも図書館の目録カードが大事なのか。
本からラジオ、テレビ、インターネット等、様々な仕組みが便利になっていく世の中。
果たしてそれは本当に便利なものか?楽なのか?ハリーはディッキーに昔読んだ本のタイトルを検索させる。ディッキーは10秒で目録カードをみつける。次にパソコンで検索させる。エンターキーがわからない。ホームボタンがわからない。1分以上かかった。
「便利」ってなんだろう。古い、新しい、綺麗、汚い。新しくて綺麗であっさりとした機械が全ていいのだろうか?古くて蓄積された分厚い本の中に沢山沢山つまっている。そんな薄っぺらいコンピュータなんかよりずっとつまっている。
ディッキーは昔、スポーツカーに乗りたかったそう。だけどもう歳で、スポーツカーなんか買っても乗らないし、当時欲しかったからという理由で買わないそうだ。
ハリーはいきなり激怒して、買えばいいと答える。何故手に入れないのか?と。いつまでもあると思うから手に入れない。欲しいものも、大切なものも一瞬でなくなっちゃうんだって、ハリーはわかっているから怒った。
昔犬のコリーが欲しかったとき、家族にも住まいにも世話をみるのにも不便だからと、毛が短い小型犬を父親は選べと言ったという。
不便だから、楽だから。そんな理由でコリーを飼わせてもらえなかった。ハリーは代わりはいらなくて、ハリーはコリーがほしかった。
丁度昨日、タイムリーだけど本郷にある近江屋洋菓子店が閉店した。老舗だった。どんどん新しい建物になって、もう今日生まれた赤ちゃんはそこに洋菓子店があったことも知らない。あったかなんてどうでもいいかも。
私が純喫茶に通うのは、やっぱり新しいものに勝つ魅力があるから。新しくて綺麗でオシャレでフォトジェニックで、でも深みが感じられない。ある程度技術が発達してできた、年を重ねたものや人は、最近の新しいものに対して勝ると思う。
新しく構築することはできるけど、続けることって難しい。深みは重ねることにしかできない。時代がどんどん変わって新しいテクノロジーがどうとか、そこの闘う場所は違って、古いものと新しいものの良さを比べるのは違うし、意味も異なると私は思う。
(固定電話から携帯電話がうまれたり、そのような発明で現代便利になったこともあるかもしれないけれど、全部が全部新しいものが良いというのではないと言いたい…)
ハリーを演じる戸塚祥太(通称とっつー)はアイドルだけど、役者としてどんどん道を歩んでいって欲しいくらい、私は彼に惹かれる。内に秘めた魂から体に伝わって、観ている私たちにも奮い立たされるパワーをもっている。しかも顔立ちも美しい。フレーズはとても早口で、でも全然噛まなかった。指先まで綺麗で、憎しみなどの震えも素晴らしくて本当に観に行けてよかった。同じ人間だから感じられることもあるし、こんな素敵な人が表現のお仕事をしていると思うと私も頑張ろうと思える。
勝村政信さんは流石の一言…ユーモア溢れる一面と刑事として責任感のある佇まいを演じてとても貫禄のある人だった。
舞台上、表情や体、全身をフルにつかって表現しないと観ている側に伝わらなくて、それを伝えるようにすることって本当に難しいと思う。2人の息のあった舞台に拍手喝采でした。
るきさん/高野文子
インスタグラムでたまたま見かけた、
るきさんという本を載せている女の子がいた。
なんとなく良さそうだなと思って古本ではあるが、わたしは早速amazonにて頼んだ。
るきさんはオールカラーの漫画であり
1988年から1992年に渡って雑誌「Hanako」に連載されていたという。
わたしの生まれる前の漫画。
るきさんはとってもチャーミングな女性で、ちびまる子ちゃんやサザエさんに似た匂いのする漫画である。
わたしは日常、暮らしそのものが好きなので、るきさんを開くととてもワクワク・ドキドキする。
るきさんは鮮やかな紫色や黄色の服を素敵に着こなし、自由きままに、周りに流されることなく生活をしているとわたしは感じた。
そういう人にとても憧れる。
わたしは結構ちいさなことにうじうじと悩むが、ピン!ときたらズカズカと自分を信じ、まえに進み、やりたいことをやっている人間だ。
些細な悩みにうじうじしている自分の時は本当に好きじゃないし、客観的にみてもあまり魅力的に感じない。
2年まえくらいかな、高田馬場の占い師さんにこう言われた。
「あなたは、あなた自身が思ってるよりも周りの人はあなたのことをみてないし、気にしてないわよ!
例えば目的もなく、たまたま本屋さんに入り、目に付いた雑誌の内容や表紙にびびっときて、それをみて目を輝かせているあなたのほうが何倍もチャーミングよ!」
その言葉をきいてからあまりもじもじしても自分はよく見えないし、ありのままの自分でGO!…と思ってはいるけれど、今日は前髪の調子がよくないな、まがっている…とか、タイツと靴のこの組み合わせが気に入らないのになんでこの格好で来ちゃったんだろ…とか。
ほんとちいさなちいさな悩みに自分をコントロールされ、自分を失っている。
でもるきさんはそんなことがなく、
(例え漫画の世界だろうと…)
自分を貫き、独身だろうがなんだろうが前向きにすてきな生活をしている。
元気がなくなったとき、自分らしさがわからなくなったとき、悩んだら「るきさん」をひらいて小さな悩みを吹き飛ばそうとおもった。
北村道子 衣装術
先日、プーしゃんからラインが。
メパロンに読んで欲しい本があるのって。
”北村道子さんの衣装術”
を貸してもらい、読みました。
学生時代や高校生の頃は、よくファッション雑誌VOGUEやファッションニュースを読みまくっていた。
また、ファッションデザイナーのトークショーや東京ファッションウィークの新作コレクションのショーを観に行ったり、”ファッション”が全てだった16〜20歳までの自分の気持ちを蘇されたような気持ちになった。
今ももちろん仕事がファッション関係だから一生ファッションなんだけど、今はファッションに対しての熱の入れ方が昔と変わってきている。
前もツイキャスか何かで話したかもしれないけれど、わたしの人生の岐路は学生時代、男の子に、「○○○ちゃんはさ、消費者のままでいいの?俺は生産者になりたいからヨウジヤマモトの服を買いたいけど、試着して学んで我慢してる。悔しいから。」って言われたこと。
わたしは18.19の頃の当時、keisuke kandaの大ファンだった。高校生の時は友達もいなくて服が友達のようで、支えてくれる大きな存在だった。そして唯一ファッションで繋がっていた友達に初めてkeisuke kandaの展示会に連れていってもらった。
そしたら恋をしてしまった。服に。
服でこんなにドキドキしたことなんか無いってくらいドキドキする仕掛けがこのペラペラの布で表現されていて、なんだか上手く言葉にできなかった。
映画や小説を読みきったあとのような気持ちになって、高校生の当時はアルバイトを週1程度で働いていたのであまりお金もないなか、3万円のブラウスを受注した。来年東京に上京するから、入学式(喝をいれる時)に着ると決めた。
でも恋は盲目で、”keisuke kandaの服”であればなんでも魅力的に感じてしまって、(あのときめき・ドキドキした気持ちを忘れられなくて)買い漁る年だった。
そんなときに先ほど話した男の子にあんな一言を言われて、胸が苦しかった。わたしは”着る側”じゃないんだ。”作る側”つまり生産者になるためにこの学校に入ったんだって思って、展示会に行ったけどはじめて見るだけで帰って、受注しなかったお金で7万円の職業用ミシンを買った。
今もずっと愛用している仕事の相棒。
これがないとわたしの服は作れない。
それから、着ることへのエネルギーよりも作る、表現するエネルギーに注ぐようになり、今もそりゃあお洒落したいし買いたいけど、やっぱり生産者ということの自覚と闘いながら今も仕事をしている。
本を読んで北村道子さんのように映画や役者さんのイメージを聞いて服を作ったことはないけれど、わたし自身衣装にとても興味がある。
どちらかと言えばUNIQLOのようにシンプルで日常に適している衣服を作ることはあまり得意ではない。
”見た目”や”世界観”重視なのできゃりーぱみゅぱみゅさんや小松菜奈ちゃんに着用してもらえたのかもしれない。
あと、誰かに着てもらうことではじめて服として成立するから、もっといろんな人に着てほしい。
そのためには私が縫わなくちゃいけない。今は全てひとりで生産しているから工場に負けちゃう。でも、わたしは小学生から”手作り”ということに拘り続けているし、執着している。
手作りって、服じゃなくて料理も、あたたかさがあるよね。その人が作ってくれた、という行為が堪らなく好きで。
お客さんは私のことはどうでも良く思っているひとや興味のないひともいるけれど、展示会に花束を持ってきてくれる女の子もいる。涙を流してショーを見てくれた女の子もいる。これからも頑張ってくださいって言ってくれる女の子もいる。
だから、私はこの手作りという方法に拘っていきたいし、これがなくなったら私が私じゃなくなる気がして、嫌だし怖い。
工場だけで生産するなら、何か意味がないような気もして。そりゃ工場生産のほうがスピードも早く縫製も綺麗。だけど布と布との組み合わせをギリギリまで選んだり、手作業で縫いつけるビーズだったり、わたしのやりたいことは多分工場には適していない。
だからもう少し効率よく製作できたらいいな、、と思うところだけど、私の手・魂から産まれたもの、がどこかの誰かさんの元に届いて何か必要とされたり、私がkeisuke kandaに恋したようにドキドキしてくれたら、わたしはいつ死んでもいいかなっておもうくらい幸せだし、財産。
映画のように映像は残らないし、知らないひとは知らないけれど、わたしの手から産まれるものは私の人生の分身、欠片だから少しでもこの世に残っていたら嬉しい。
あとは、北村道子さんがお金だけで仕事を選ばない、と書いてあったけれど私もそうかな。
この前某アイドルの衣装製作依頼があって○○十万円のギャラだったけど、どうしてもやりたい!という気持ちがなかったから断った。し、スケジュールが合わなかった。生半可な気持ちもだめな気がして。
やっぱり何でもかんでも引き受けるより、仕事はできるだけ選べるならば、選びたい。
ワガママかもしれないけれど、拘るということを大切にしていきたいし、自分や自分のブランドの価値みたいなものをもっと大切にしてあげたい。自分で自分を安売りしちゃだめだ。
最後に服は武器、人生そのもの、という文章を読んで、私が思うファッションと一致していたから、間違っていないし、信じていこうとおもった。自分を。あと、もっといろんなことをこれからも吸収したい。全然知らないことがたくさんある。吸収してそれを自分の形で変換し、表現するお仕事を続けていきたい。
最近あったこと
◇5月29日
舞台「寝盗られ宗介」を観に行った。この舞台は私の応援しているジャニーズA.B.C-Zのメンバーの戸塚祥太が主演をつとめていた。
寝盗られ宗介は原作を読まずに観に行った。
新橋演舞場で、提灯が沢山下がっている歌舞伎観劇ができる会場。
寝盗られ宗介は一言で言うと最高に面白かった。。。もう一度観たかったというのが素直な感想。千秋楽に行ったのでもう一度、が叶わず。爆笑もできて最後には自然と涙が出てくるお話でした。
戸塚祥太さまは本当に美しかったな。
オールバックに目鼻立が凛々しくて着物一枚で色気が最高だった。寝盗られるお話なんですが笑、昔の時代劇みたいな雰囲気が結構わたしの好みで、板の上に登って板が倒れて着地するシーンとかアクションもあり〜のコメディあり〜の最後には結婚し〜のみんなで踊り〜の。
アイドルとしての戸塚祥太も好きですが、やっぱり役になりきっている分また違った一面もみれて嬉しい。声がもうかすれて、体も傷だらけで挨拶は深々としていて、こんなにカッコいい人他にいるんか?!ってくらいカッコよくて最高に可愛くてお茶目な人。
◇6月1日
この日は中原淳一を描いた舞台、それいゆへ
ん〜〜個人的には途中で飽きてしまって、微妙でした。中原淳一のことを尊敬しているからか、もう少し少女の夢のあるお話や、衣類、イラストなども加えてほしかったかなあと思う。戦時中のお話がメインだったので暗かった。仕方ないのだけれどね。
中山優馬くんをはじめてみた。顔面が武器すぎる。相当眩しいね。キラッキラ。
美しく生きる、生きた中原淳一のことを知らない女性には是非中原淳一の本を一度手にとってほしい。
お金をかけるだけが全てではない、気持ちや気配り、ちょっとしたリボンの結び方や季節の料理など、中原淳一の提案する当たり前そうで当たり前にできていないライフスタイルはいつまでもわたしの憧れであり、当たり前にしたいこと。
◇6月8日
ディストラクションベイビーズ
ひとりで観に行った。怖いときいていたが、案外楽しめた。意外と血の出る映画も観ているからか大丈夫だったよ〜。去年のグラスホッパーとかも好きだった。
菅田くんがブス〜〜!!!っていいながら女を殴るシーンで爆笑してしまってひとりだけ浮いていたかもしれない。小松菜奈ちゃんは何でもやっていてすごいね。また菅田くんと菜奈ちゃんで溺れるナイフがあるね。原作2.3話までしか読んでないけど、漫画がすでにたのしかった。読みたい。
◇6月11日
この日はずっと楽しみにしていた舞台、コインロッカー・ベイビーズに
これもA.B.C-Zがふたり主演、村上龍さんのコインロッカー・ベイビーズ原作も読みました。
ハシがわたしの一番すきな橋本良亮、キクが河合郁人。
ハシとキクの役はもう決まっていたので、原作を読むときは橋本良亮・河合郁人を想像しながら読んだ。村上龍さんの本は読んでいて気持ち悪い。すっきりしないし、やはり男の人の汚らしさみたいなのはあって、独特。でもそれにはまるひとがいるんだなという感じ。描写が鮮明すぎて吐き気もよおしたくなる時もあった笑。
だって自分が応援しているアイドルのひとりがさ、演じるんだもん。結婚までしてしまうんだけど、もう電車の中で読みながら何回落ち込んだだろう。
ハシはオカマにもなるんだけど、僕、ホモなんだ。っていって顔を白く塗り、口紅を塗る。ああもうどうしよう。舞台で女の子になるのかな?って色々想像した。
歌がうまいハシでCDがバカ売れする。
橋本良亮くんも最高に歌がうまいの。だから名前のハシ、も橋本と同じだし、歌もうまくて、ホモ以外ほんとに橋ちゃんにぴったりだと思った。
舞台をようやくみる。音楽劇で、スモークがかかっていた。キク役の河合くんはいつものアイドルのときよりも目がギラギラしていて強かった。すげ〜〜カッコつけていてかっこよかった。ちいちゃな体をたくさん震わせて溢れ出す思いを表現していた。キクはよく怒る。
ハシは、なんかもう一言でいえない。
さっきのオカマになるシーンはカツラは被らず、そのままだったがワインレッドカラーの口紅を塗った橋ちゃんは女の子だった。口紅を塗っただけでこんなにも女の子になって綺麗な顔立ちがさらに綺麗になって女性の色気もでているようにかんじた。目がちがった。女の目だった。
最後あたりは薬をやったりハエを食べたり舌を切って声を変えようとして狂いはじめる。
目がとびでそうな表情と、舌もだらんとたれている。本当に狂っているひとにみえた。
普段は王子様みたいな、ザ・王道アイドルしかやらないのに、なんだか見てはいけないものをみてしまったような気持ち。でも、違った表情はもっともっとみてみたい。こんな顔ができるんだって。
ジャニーズなのにキスシーンは結構あった。そういうお話なので仕方ない。し、なんなら見てやるぞという気持ちのほうが大きかった。双眼鏡でガン見した。変態の気持ちだ。でも観れる機会なんてないんだからいいもん!
ハシとニヴァ、キクはアネモネとラブラブするんだけど、舞台のあっちとこっちで一気にラブラブしてたのね。うおおどっちをみたらいいかわかんないどうしよう目が足りないぞとなった。楽しかった。画面に集中して観たい絵が2つもあるなんて贅沢だった。
コインロッカーに捨てられたふたりが疾走する立ち止まらないお話はA.B.C-Zが主演をつとめてくれなかったら読まなかったお話かもしれない。しらない世界を教えてくれてありがとう。